おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

「日米地位協定」は、天下の不平等条約


 

午前7時の気温はプラス6度。深夜に雨が降って、未明は雷でござった。

いまはどんより曇っておりますが、風もなく静かな朝でござる。

きのうは、過日亡くなった義理の叔母の納骨やらなにやらでハニーさんと、羊蹄山麓をあっちへ行ったりこっちへ行ったり、忙しく過ごしたのでした。

まずは、京極町グループホームで暮らす叔父を迎えに行き、ニセコ町のお寺へ。お寺でお骨の供養をしてから、真狩村の墓へ納骨。

ニセコのお寺に戻って、昼食を摂り、またまた真狩に向かい、叔父の自宅をあれこれ整理。使えそうなものはご親戚が持って行き、あとは業者がすべて捨てることになるのです。

さらに電話を止めたり、叔父の住所変更をしたりして、京極町グループホームへ叔父を帰して、車の走行距離は約120キロ。ほぼ丸一日が潰れたのでござる。

人が亡くなり、あれこれ後片付けするというのは、残されたものにとって、けっこうしんどいものですなぁ

心に留めておきましょう。

きょうはハニーさんが古いお友だちと小樽市朝里のコテージで1泊して呑み会だそうな。

おぢは午後から一人で留守番でござる。

年がら年中行動を共にする夫婦ゆえ、年に数えるほどしか別行動というもんがない。

だから、今夜はちょと寂しいおぢなのでござる。やかましい6匹のニャンコだけが話し相手。酒呑み放題。ま、たまにはそれもいいか…

さて、

北海道民のおぢゆえ、遠い沖縄のことはあまり取り上げてませんでしたけど、オスプレイに続き、婦女暴行事件と続いて、さすがにはらわたが煮えくり返っておりまする。

いつ落ちるかわかんないオスプレイの配備も問題ですけど、戦後延々と続いておる米兵による暴行事件には、憤懣やるかたないものがある。

なんといってもこの問題の根幹は「日米地位協定」でござる。

昭和27年に締結された日米行政協定を継承するものだそうで、ようは米兵が日本で犯罪を犯しても外交官並みの特権がある。

アメリカ側が暴行犯を逮捕しても、即、身柄を引き渡さなくてもよいことになっておる。

さらに「公務」の名目なら、どんな犯罪でも裁判権も日本にはないのでござる。

とんでもない一方的な不平等協定でござる。

同じ敗戦国のドイツでは、すでにこういった地位協定はすでに破棄されておる。

米兵がドイツ国内で犯罪を犯せば、ドイツ警察が逮捕して、国内法に基づき裁判にかけるという、ごく当たり前田のクラッカーでござる。

翻って我がニッポンは、まるで発展途上国のようなのじゃ。

世界第3位の経済大国というのに、アメリカさまのいいなりって、いくらなんでも酷くはないかね。

ここにいっさい手を付けてこなかったニッポン国、とても独立国とは思えませぬ。

ウチナンチューの怒りは、まことにごもっともなのじゃ。

ニッポン国は、いつまでこんな時代錯誤の不平等条約を続けるのかね。

第二次大戦がニッポンの敗戦で終わったのは昭和20年、1945年のことでござる。

ただいまは2012年、70年近くが経とうとしておるのに、こんな呆れた条約がいまも先進国にあるなんて、世界の恥さらしだとおもうけど、どうよ?